【哀れなるものたち】観賞後池袋の路上で大号泣

【哀れなるものたち】を観ている間、最初に涙が自然に出てきたのは、ベラがゴッド(父)に『人生は不快だが結局のところ生はそこそこ楽しいのでその件については許します』みたいなことを言った時、悔しくて泣いた

 

そう思えるようになったベラが羨ましくて泣いた。私はまだ親に面と向かってそう言えるようにはなってないから

 

それで、その後、ゴッドの死の淵で和解して、愛すべき家族のような顔をして看取った時も、悔しくて泣いた 私は一生そうなれない気がした。

 

ベラが体現するこの世の摂理の中の【フェミニズム】的冒険の話には全く思えない。私はベラを見て、白人で、実家が極太(病院の創設者?)で、顔が綺麗でよかったねと思って、妬ましくて泣いた。また、【異端(“retard")】であるにも関わらず、異性愛者で、性交に拒否反応がなく、それにより齎される快楽を愉しめてよかったね(笑)と思って、女なめるなよ、エアプが と思った。ベラがひどい人体実験の末に産まれたことも、彼女自身が美貌を持っているからこそ得た体験や学びを経て加害者である親と和解できた故に全然考慮すべきマイナスの点に思えなかった。そもそもベラが白人の美人でなければゴッドは死体を拾わなかったはずだし、ブサイクなものたちに【哀れなるものたち】の「タラレバ」の可能性すら残されていない。ブサイクなるものたちは、ゴッドに選ばれることはない。ブサイクなるものたちは、土左衛門になる

 

映画の最初に、"what a beautiful retard"というセリフがあり、retardは昨今のポリコレ系譜ではNGとされ“Rワード”と形容されているが、なんというか社会の根本的な家父長制謎ルールの中に、女は常に美しいバカが極上というヒントがあり、このセリフは冒頭からここはそういうのが極上の世界なんですよそもそもねという耳打ちがある、rワードであり美しいもの、またはベラのようにネオテニー的で美しい、つまり未熟な未成年者に対しての性搾取が示唆されている

 

そもそも忘れてはいけないのは、【哀れなるものたち】の監督は男性であることと、これは別にフェミニズム・リベレーション的な役割を社会で果たすためにつくられたものでは全くなく、多分一種のグロテスクで低俗(いい意味でも悪い意味でもなくなホラー映画(ジョン・ウォーターズとかそういうもの)として見るのがちょうどいいんだと思う。正義のない世の中の正義のない、矛盾だらけの冒険の末、結局大金持ちの実家に戻って落ち着きました、白人女が(笑)そういう、惨たらしいホラー映画だと思うと、泣き止むが、圧倒的に「女性の〜」みたいなレビューが目立ち、そういうのが私を傷つける。こんなものに女が励まされて、フェミニズムが形容されて、現実社会での女性の役割ガー、経験ガー、育つ過程ガー、わかられてたまるかよ、クソが エアプだろ